貴重な史跡

栄区 では、古墳時代(1300年前ごろ)に作られた横穴式の古墳が多数発掘されています。多くは宅地開発で壊されましたが、鍛冶ヶ谷市民の森には25穴が残されています。この横穴墓群は、入口の部屋の奥に納骨のための部屋がある珍しい形式で、鍛冶ヶ谷式と呼ばれています。

 

奈良・平安時代のころの神奈川県は、相模国(さがみのくに)と武蔵国(むさしのくに)にまたがっていました。栄区はその国境にあたる地域で、本郷郷土史研究会が、国境があったと思われる場所に記念の碑を建てました。元大橋公園内にあります。

 

江戸に幕府が置かれたことで東海道の重要性が高まり戸塚宿が置かれました。この地域は戸塚宿へ人足や馬を供給する助郷という役割を担っており、横浜へ通じる道筋には、馬による物資運搬の安全と無事を祈って作られた庚申塔、道祖神、馬頭観音などが数多く残っています。
横浜道は、江戸末期の横浜開港に際して、神奈川、横浜を結ぶ地域が湿地帯や海で交通の便が非常に悪かったことから、新たに作られた道です。地元民の大きな尽力によって、わずか3ヶ月の工事で開通しました。

 

歴史ある神社仏閣

石橋山の合戦で頼朝の身代わりとなって戦死した佐奈田与一義忠の菩提を弔うため、源頼朝は證菩提寺を建立しました。正翁寺はその塔頭(たっちゅう)の一つであったと言われています。室町時代後期に再興され、一時は衰退したものの、江戸時代に寺格を昇格され、正翁寺と称するようにになったお寺です。

 

長慶寺は慶長年間に建立されたことからその名称がついており、徳川家康とゆかりのあるお寺として知られています。このあたりに鷹狩りで訪れた家康に、住職が裏山の清水をくんで粗末な古い茶碗で出したところ、家康は水のおいしさに感激し、のちに立派な茶碗を贈ったとのことです。今でも大切にその茶碗を守り続けています。

 

鍛冶ヶ谷町の守り神の鎮守様を祀(まつ)っている神社です。
御祭神は応神天皇(おうじんてんのう)、速玉男之命(はやたまおのみこと)、素盞嗚命(すさのおのみこと)です。境内には江戸時代以降に広まった庚申信仰でつくられた庚申塔が数多くあります。

 

子の神・日枝神社はもとは別社で、「子の神社」は殖産興業の神である大己貴命(おおなむちのみこと)、「日枝社」は文化開発の神である大山咋命(おおやまくいのみこと)を祭神として仰いでいました。文明年間に、この地を所管していた上杉関東管領が、土地肥沃ないたち川流域の中央部の守護神としてこの両社を併せ祀(まつ)り、農業の振興を図ったとされています。近年、地元の氏子によって修復されました。

 

自然豊かな公園

昔から「ふじやま」と呼ばれて親しまれ、かつては富士山に見立ててお参り(富士講)が行われていたこともあり、山頂に記念碑が残っています。2000年に、山全体が自然の景観が豊富な都市公園に生まれ変わり、広大な園内には、小岩井家を移築した有名な古民家ゾーンや、弓道場、幼児用の遊具スポットなどがつくられ、多くの人が訪れています。

 

鎌倉街道沿いにある市民の森で、足を一歩踏み入れれば静かな森が広がり、クヌギやナラ、ケヤキのほかに竹林など樹木の種類が豊富で木陰が多いのが特徴です。鳥の鳴き声を聞きながらの散策を楽しむことが出来ます。一番奥の北広場は高台になっており、天気の良い日には富士山を望むこともできます。

 

段差のあるいくつかのエリアに分かれているのが特徴の、大きな公園です。一番下のエリアにはブランコと複合遊具、砂場、大きなグラウンドがあります。階段を登った上のエリアは、自然豊かな森のような雰囲気を楽しめます。散策路が整備されていて、自然観察を楽しみながらの散策ができるようになっています。

 

 

参考文献:横浜市栄区役所地域振興課 
『栄区郷土史ハンドブック』 (2008年)

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